mercredi, le 6 novembre, 2002
JE NE SERA PAS UNE AQUOIBONISTE 何にもならない病
今日は語学学校のお友達の紹介で、フランス人の男の子と一緒にゴハンを食べました。お友達もその男の子も英語がペラペラなので、ふたりが喋るときは英語、彼とわたしはフランス語、そしてお友達とは日本語で、お互いに何を言ってるのか通訳しながらの会話でした。ふだんは英語に接する機会がナイので、二人が英語で話しているときはどうしても気後れしてしまいます。クラブで話すこともあるけど、じっくり話すことはあまり無いから。やはり中途半端では仲良くなれないなぁと痛感。
彼女に限らず、語学学校のお友達は外国人とも臆することなくスグに仲良くなれて、いつもすっごく感心してしまいます。そして見知らぬ人でも家に泊めてあげたり、それが出来なくてもお友達を紹介したりと、とても親切なのです。きっと色んな土地を旅した経験から、馴れない国に来た人の力になりたいと思うのでしょう。それに行動が早くてパワフル!
来週からさっそくお互いの家で語学のエシャンジュを始めることになりました。ペラペラに話せるようになるにはお友達を作るのが一番だといいます。わたしもがんばってお喋りしなくちゃ!
*ものを作ってると時々、「何にもならない病」に陥ることがあるのですね。特にこんないい人に会ったときには。作ってるときは完璧にひとりの世界ですからね。無心で作っているときは楽しいんだけど、ふと我に帰って、「それが何になる?」ってギモンを感じてしまうと、何もかもが出来なくなってしまう。そして作りかけていたものの断片が、自分のまわりに散らばっている状態。
ジェーン・バーキンの歌う「aquoiboniste」は「何にもならない」が口グセの彼氏の唄。セルジュ・ゲンスブールは、この曲をフランソワーズ・アルディに歌わせるつもりだった。それはこの口グセ男のモデルがアルディの彼氏、ジャック・デュトロンだったから。デュトロン・ディクショナリーには、「Aquoiboniste:ゲンスブールによる造語。ある部分は完璧なまでにデュトロンを分析している。この言葉は彼を形容する言葉として長い間つきまとうこととなる。」と記述されています。実際デュトロンは冗談を言って人を楽しませたり、茶化したりするのが大好きだけど、頭のいいアルディは歌うのを断ったのだそうだ。
私はそんなデュトロンの表現の仕方が大好きなのだけど、「何にもならない病」だけには賛成しません。「君以外の世の中はみんなクズだ」だなんて、それこそ自分の世界にこもっていては何にもならない。
私の好きな本のひとつである「冷泉家の年中行事」では(ババくさいなんて言わないで!)、和歌の旧家である冷泉家の家訓は「まっすぐに自分の役目をやっている人はいつか必ず認められる」「自分を飾ったり宣伝したりしては、人は認めてくれない」というもの。そう言われてみると、私が今までに心魅かれた人というのは、過剰に自分をアピールしなくても、一つ一つの仕事をきちんとやっている人。
時には立ち止まってしまうときもあるけれど、「何にもならない」って考えるのは危険信号。あまり考えないで好きなことをまっすぐに続けて行くほうが、周りとの調和がとれて、自然とうまくいくんじゃないかなーって思うのです。